サンドイッチな昼下がり

 週の始め、朝から業者との打ち合わせが立て続けに二件入っていた。区切りがつき昼食をとることができたのは昼の一時を回ってからのことだ。
 自分のデスクで資料片手に、近くのコンビニで買ってきたサンドイッチを冷たい紅茶で半ば流し込むようにして詰め込む。手軽で、作業をしながら食べることができるため、最近ではすっかり定番のメニューとなってしまっている。
 ツナサンドに卵サンド、ハムチーズにかつサンド、それからごくたまにイチゴクリームサンド。毎日、あれこれ違う具材のものを選んでみてはいるが、さすがに飽きてきた。
 午後はプレゼン用の資料をまとめなくてはならない。空になったペットボトルを片手に、飲み物を追加しに階段を下りようとしたときだった。
「一之瀬さん」
 ちょうど階段を上ってきたあかりと踊り場のところで鉢合わせする。
「あー、えーと、」
 土曜日、後輩の目の前で繰り広げてしまった痴態が瞬時に思い出され、沙耶は思わず言葉をつまらせる。
「大丈夫ですよ」
 あかりがにこりと笑う。
「誰にも言ってませんし、それにたぶん私たちの他には誰も見てなかったと思います」
 その言葉に、一気に身体から力が抜けた。
 今朝、出社するまで気が気ではなかった。噂になっているのではないかと、からかいの言葉を浴びせかけられるのではないかと。幸い、そんな気配は微塵も感じられなかったが、たまたま自分の耳に入らないだけではないかという杞憂を完全に捨て去ることはできなかったのだ。
 はあ、と安堵の息を吐いた沙耶を見て、あかりが不思議そうに首を傾ける。
「でも、べつに知られて困るようなことはないですよね? 彼氏さんとのことをとくに隠さないといけない理由があるわけでもない……ですよね?」
 窺うような言葉に、曖昧に頷く。
「そう、だけど」
 隠さないといけないという理由は、ない。だが、できれば知られたくない、というのが本音だ。仕事柄、どこでどう繋がるか分からない。もしかして迷惑をかけることになる可能性もないではない。だから、あかりにも誠二のことをあまり詳しく話してはいない。
「それはそうだけど、でもやっぱりああいうふうに泣いてる姿を誰かに、……同じ会社の人間に見られるのは抵抗があるよ。いや、まあ、自業自得なんだけどね」
 これもまた本音だ。
 あかりは口許に手をあて、ふふ、と笑った。
「たしかにちょっとびっくりしました。一之瀬さんにああいう一面があったなんて、って」
「ああいう一面って?」
「会社ではすごくしっかりしてて、男の人相手でも全然躊躇ないかんじなのに、好きな相手の前ではあんなに可愛らしいんだなーって。彼氏さんのこと、ほんとに大好きなんだろうなっていうのは話を聞いてて分かってはいたんですけど、改めてそれを実感っていうか」
「ちょ、ちょっと待って。場所、移そうか」
 階下から上がってくる人の気配を感じ、場所を移すことにする。自動販売機で飲み物を買い、使ってない会議室へと入る。
 今日は気温が低く、少し肌寒い。にも関わらず、背中に汗をかいていた。スーツの下に着たブラウスが湿ってべったりと皮膚に貼りついている。
「えーと、ごめん。なんていうか、いや、その、」
 顔が熱い。文字通り、顔から火をふきそうだ。あまりの恥ずかしさに、言葉が出ない。顔を手で覆った沙耶の前で、あかりはにこにこと笑っている。 
「一之瀬さん、かわいいですね」
「……年上をからかうな」
「からかってなんかいませんよ。ほんと、かわいいなーって」  
「ちょ、ごめん。ほんと勘弁してー」
 悲鳴を上げ、思わず崩れ落ちる。あかりは見え透いたお世辞など言わない。いつだって裏表ない言葉をつかう。だからこそ恥ずかしい。
「お願いだから、誰にも言わないでね。その、彼のこととか、泣いてたこととか」
 まだまだ「初心者」マークを引っ提げている状態だが、自分なりにプライドを持って仕事をしているつもりだ。目標もある。そういう意味でも、たとえ虚勢ではあったとしても、なるべく弱い部分は隠しておきたい。
「だから言いませんって。べつに隠すようなことじゃないと思いますけど、一之瀬さんが嫌がるようなことはしたくないですもん」
 腰を落とし、あかりが視線の高さを合わせる。 
「私、一之瀬さんのこと尊敬してますし、大好きなんで」
 大きなくるりとした目で覗き込まれ、同じ女なのに思わずどきりとしてしまう。
「……ありがと」
 小柄で、笑顔も物言いもやわらかいあかりは社内の男性社員からの人気が高い。それなのに、そういった場合お決まりでセットになる女性社員からの反感が少ないのは、彼女のこういうところだと思う。嫌味のない言葉は素直に心に沁みる。
「梶原にも口止めしとかなきゃなー」
 土曜日の夜、気がついたときには梶原もあかりの姿もなくなっていた。立ちあがり、ペットボトルの水をひと口飲む。
「あいつ、今日は外回りなんだっけ?」
 今日はまだ一度も姿を見ていない。
「ええ。なんでも今度新規で取引することになるところに挨拶に行くそうですよ」
「へえ、そうなんだ」
 そういえば梶原の教育係である上司の姿もなかった。一緒に出向いているのだろう。
「でも梶原さんは、」
 一瞬、何か思案するように言葉を切ったあかりは、少し困ったような笑みを浮かべて言った。
「……梶原さんは、一之瀬さんたちのことを誰かに言ったりはしないと思いますよ」

ランキングに参加してます。
inserted by FC2 system