第6章 海の底

-04-

 その電話はちょうど雅哉が玄関の扉を開けたタイミングでかかってきた。学校での雑務を済ませ、帰宅したところだった。相手は諒子だ。嫌な予感がした。荷物をその場に投げ置き、すぐさま電話をとる。
「ちょ、落ち着いてください。どういうことですか?」
 諒子はひどく取り乱していた。その上、外からかけているのか、雑音の混じった声はひどく聞き取りづらい。目一杯、携帯に耳を押し当て、諒子の声を拾う。
 病院へ行く、と午前中に家を出た美月が未だ戻らないという。腕時計に視線を走らせる。ちょうど三時を回ったところだ。
「その病院へは?」
『電話して確認をとりました。たしかに予約は入っているものの受診記録はないそうです。つまり病院へは行ってない、と』
「携帯は?」 
『さっきからずっとかけてるんです。何度も何度も。けど、電源を切ってるみたいで全然繋がらなくて』
 いつでも連絡がつく状態にしておいてほしいと言い置き、とりあえず一旦電話を切る。その指ですぐさま携帯内のアドレスを開いた。市外局番で始まるその番号に一瞬躊躇する。親しい間柄では携帯同士のやりとりが主流の今、自宅への電話となると多少の緊張を強いられる。それも呼び出す相手が高校生となると尚更だ。頭のなかに親相手の文言を用意するも、幸い、電話に出たのは当の本人であった。肩の力を抜く。
「相良、進藤だ」
『先生? え、なになに、どうしたの?』
「綾瀬はいっしょじゃないか?」
『え、いっしょじゃないけど……なに?』
 不安そうな声が尋ねる。
「綾瀬が行きそうなところ、どこか心当たりはないか?」
『ねえ、ちょっと待ってよ。どういうこと? 美月に何かあったの?』 
 何でもない、で通すのはさすがに乱暴すぎるだろうが、諸々の事情説明は端折り、美月の行方が知れない、とだけ伝えた。
『警察へは?』
「たった数時間帰って来ないってだけだ。小さな子供じゃあるまいし。ただ、出かけたきり連絡がつかないからって心配した家族から連絡があった。それでこちらでも心当たりをあたってるだけだ。そこまで大袈裟に騒ぎ立てるほどのことじゃない」
 嘘、と電話口で低い声が言った。
『先生、嘘ついてる。何かあったんでしょ? ねえ、本当は何があったの? 美月、いつからいないの!?』
「落ち着け。できればあまり大ごとにはしたくない。もしかしたら行き詰ってちょっと息抜きにってどこかぶらついてるだけかもしれないし。もしそうだとしたら、帰ってきたときに警察だなんだと騒動になっていたら本人もバツが悪いだろう」 
『それ、本気で言ってるわけじゃないよね?』
 すかさず放たれた麻衣の非難めいた言葉に雅哉は黙するよりほかなかった。もとより、そんな詭弁が通じる相手ではないことは重々承知だ。その詭弁に縋りたかったのは他の誰でもない──雅哉自身だ。
 しばしの沈黙のあと、「探しに行く」と、麻衣が言いだした。
「心当たりでもあるのか?」
『そんなのわかんないけど、けど、……けど、じっとしてなんかいられないじゃん』
「なら、家にいろ。今がおまえたちにとってどんなに大切な時期か分かってるだろ」
『分かってるけど、だけど、』
「相良、たのむ」
 今にも家を飛び出して行きそうな麻衣をどうにか宥めすかし、宮地紗枝の携帯番号を聞き出した。三人はいつも一緒にいた。残るもう一人に望みを託す。が、予想はしていたものの、紗枝の反応は麻衣とほぼ同じだった。
 そして雅哉は最後の綱に手をかける。
「宮地、黒川圭介の番号、知らないか」
『圭介なら、』
 突然、電話の向こうで声が交替した。
『おい、綾瀬がいなくなったってどういうことだよ!?』
 声の主は紛れもない、圭介本人のものだった。
「黒川? なんでおまえ、」
『そんなこと今はどうでもいいだろ。それより、綾瀬がいなくなったって一体どういうことなんだよ!?』
「んなことこっちが訊きたいんだよ!」
 耳元でがなり立てるような声に、思わず怒鳴り返していた。舌を打ち、一度大きく息を吸い、立て直す。
「それこそ、おまえのほうが何か知ってるんじゃないのか? どこか綾瀬の行きそうなところに心当たりはないのか?」
『そんなの分かんねーよ』
「どこかあるだろ。二人で出かけた場所とか」
『だからそんなの分かんねーって!』
「分かんねーって、おまえたち、仮にも付き合ってんだろうが!」
 電話のむこうで一瞬、息を呑む気配がした。そして、
『……付き合ってねーよ』
「は?」 
『付き合ってないっつってんだよ! だからそもそも二人で出かけたことだってねーよ!』
「だっておまえ、修学旅行のとき」
『ああ、そうだよ! 修学旅行んときだよ! あんとき、ステージで告った翌日にはすっきりきっぱり振られたんだよ!』
 圭介がステージの上で派手に繰り広げた告白劇は生徒たちのあいだでしばらく語り草となっていた。その後、校内で美月と圭介が二人いっしょにいる姿もよく見かけた。だからてっきり。
『けど、あいつ、俺のこと振ったあとでも普通に接してくれてさ。たぶんさ、あんなふうに皆の前でぶちかました俺がソッコー振られたってなったら、とか何とか気イ遣ってくれてたんだと思うんだよ。周りは俺らが付き合ってるって勝手に勘違いしてくれちゃったりしてたんだけどさ。ていうか俺はどっかで期待……もあったんだよ。嘘から出たまこと、だっけ? もしかしたらそのうち本当に心変わりしたりしねーかなって。ま、ダメだったけど』
「……もし、何か思い当たることがあれば電話してくれ」
 半ば強引に話を切り上げ通話を終えようとした雅哉を、待てよ、という鋭い声が引き留めた。
『あんたさあ、知らないだろ。俺が王様ゲームにかこつけて綾瀬に告ったときだよ。あんとき自分がどんな顔してたか。どんだけ嫉妬心剥き出しのオトコの顔してたかさ。あんたまるでさ、大事に抱えてた宝物奪われたみたいな顔してたんだぜ。笑えるよな。自分で遠ざけたくせしてさ、自分で切り離したくせしてさ、いざ人にとられそうになったらすっげー悔しそうにしてやんの』
「……黙れ」
『ああ、そうそう。王様ゲームっていえばさ。ゲームの真っ最中、綾瀬宛にどっかかから電話掛かってきたんだよ。最初はなんでだろ、って思ってたんだよな。なんで携帯じゃなくて、わざわざホテルのほうに、ってさ。けどさ、あとで理由が分かったよ。あれは綾瀬をあの場から遠ざけるのが目的だったんだってな。だってさ、河野が言ってたんだ。ゲームのクジで綾瀬と当たるように工作しろって不正取引持ちかけられたとき、近くに進藤がいたって。もしかしたら聞かれてたかもしれないって。ってことはだ、要するにあんたは知ってたってわけだよな? 綾瀬が誰かと変なゲームさせられるかもしれないって。美月にその謎の電話かかってきた時、あんたたしかあの場にいなかったよな。あの電話はやっぱり、』
「黙れっつってんだろ!」
 すぐそこからククっと籠った笑いが聞こえた。
『いっつもスカした顔してるくせにさ、そうやって怒ったりもするんだなぁ、あんた。なんかすっげー気持ちいーわ。怒らせついでに言うけどさ、』
 ふいに電話の向こうで息を吸い込む気配がした。
『てめえ言い加減にしろってんだ! いつまでも逃げてんじゃねーよ腰抜け野郎! 俺は逃げなかったぞ。たとえハナっから勝敗が見え切った勝負だったとしてもな!』
「……とにかく、もし何か分かったら連絡くれ」
 辛うじて言葉を繋ぎ、電話を切ろうとする。が、またも圭介の声が追い縋った。
『あんたさ、あいつの、綾瀬が泣いたの見たことあるか?』
「……ああ」
 それを聞いた圭介はハハ、と乾いた笑いを漏らしたあと、そうか、と言った。
「やっぱり鍵は、あんたが持ってたんだな」                             

ランキングに参加してます。
inserted by FC2 system