第4章 夜の片隅で

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 たくさんの割り箸が入った箱を持ち、河野がやってきた。ゲームの番号を割り当てるためのくじ引きだ。
「あの、さ、黒川」
 くじを引こうと手を伸ばしかけた圭介を押し留めたのは、河野の躊躇いがちな声だった。手を止め、顔を上げる。
「なに?」
「いや、その、」
 一瞬外れた河野の視線はだがすぐに戻って来た。何でもない、と再度箱が差し出される。
 何でもないわけあるか。思わず内心でツッコミを入れる。河野の視線は美月に向いていた。何か彼女に聞かれてはまずいことなのか。気にはなったが、あとがつかえているから、と急かされ、言われるまましぶしぶ割り箸を一本抜き取る。先っちょのほうにマジックで小さく書かれた番号は「7」。ラッキーセブンだ。単なる番号の割り当てで当たりも外れもないのだが、何となく気分が上がる。我ながら単純だ。
 相良、宮地、とくじを引き、次は美月の番となったそのときだ。
「あの、すみません。綾瀬美月さん、いらっしゃいますか?」
 美月を除く圭介たち四人はその声にすぐに気がついた。呼ばれた当の本人は動きを止めた目の前の河野に不思議そうに顔を上げ、そしてその視線の行方を追って振り返った。
「綾瀬、美月さんはいらっしゃいませんか?」
 もういちど、今度はもう少し大きな声で。声は広間の入り口からだった。ついさっき夕飯の給仕をしてくれた若い中居だ。周囲の視線が一斉に美月に集中する。
「美月、呼ばれてる」
「え? あ、……わた、し?」 
 宮地に促され、はじめて気がついたように美月は驚き、皆の注目を集めるなか恥ずかしそうに中居のもとへと駆け寄った。二言三言、中居と言葉を交わしてから戻って来た美月は不思議そうに首を傾げていた。
「どうしたの?」
 相良が尋ねた。
「ごめん、ちょっと席外すね」
「え、なに? どういうこと?」
 相良の問いかけに美月は曖昧に笑い、首を振った。
「うん、それがよく分からないんだけど、私宛に電話がかかってきてるんだって」
「電話?」
「うん、外線。ただ、ここの広間の電話には繋ぐことができないらしくて、フロントまで来てくれないかって」
「なにそれ? 電話ってどこから?」
「それが、相手は名乗らなかったらしくて」 
 宮地と相良が顔を見合わせる。おそらく圭介が思ったことと同じことを思い浮かべたに違いない。圭介や宮地たちはもちろん、美月も携帯をここに持参している。さっきいじっているのを見た。
 一人一台携帯を持つのが当たり前のこのご時世、携帯電話に、ではなくわざわざ宿泊先のホテルに? 親しい相手であるなら携帯に直接かけてくるはずだ。
 どう考えても不自然で、無視すれば、とも思ったが、家族からということも考えられる。というよりむしろそのほうが可能性としては高い。何らかの理由で携帯ではなくホテルの電話に。しかももしかしたら急を要する、とか?
「ごめん、とりあえずちょっと行ってくるね」
 もしかすると同じことを考えたのかもしれない。美月はやや早足気味に会場を出て行った。
 美月の背中が廊下へ消えるのと同時、宮地が肩の力を抜いたのが分かった。さらに河野が別のグループの元へと向かったタイミングで、宮地はおもむろに頭を下げた。
「さっきはごめん。私のせいで空気悪くした」 
 渡辺や小野瀬たちは、あのあとなんとなく気まずそうに離れて行った。圭介たちのあいだにもまた、重たい空気が流れていたことは否定できない。
 宮地は盛大なため息をつくと、抱えた膝に顔を埋めた。
「バカだよねー、私。またやっちゃった。庇うつもりが、逆に追い討ちかけるようなこと……」
「べつにおまえのせいじゃないだろ。それを言ったら俺だって。ていうか俺のほうが、」
 彼女が傷ついているのを目の当たりにしながら、何もできなかった自分のほうこそ最低だ。女同士の諍いに口を挟むことへの躊躇い。こういう場合、男がヘタに口出しをすると余計拗れてしまう。経験上、そのことは嫌というほど知っている。それに美優が美月の妹であるということも圭介に二の足を踏ませた。
「姉妹なのにさー」
 まるで圭介の心のうちを読んだかのようなタイミングで宮地が漏らす。
「あの二人、なんであーなんだろ。美優は美月のことをやけに目の仇にしてるし、美月は美月で美優に対していつもどこか遠慮してるっていうか」
 言いつつ、宮地は膝にのせた顔ごと身体を前後に揺らした。
「ずっと思ってたんだよね。美月、なんで言い返さないんだろうって。美優も美月が言い返さないもんだから調子にのってるとこあるし。だからさ、美月見てるとなんかイライラするっていうか。いや、もちろんムカつくのは美優に対してなんだけど」
 宮地はつまんだチョコビスケットを次々に口に放り込むと苛立たしげに噛み砕いた。さらにそれをジュースで一気に飲み下す。女ながらなかなかの飲みっぷりだ。500ml缶をひと息に空けた宮地は、ぐいっと口許を拭うとまた大きなため息をこぼした。
「分かっちゃいるんだけどね。あの子のそういう性格。美月がそういう争い事を好まないっていうのはさ。分かっちゃいるけど!」 
 そしてまた菓子を口に詰め込む。
「私はさ、ダメなのよ。思ったことはすぐ口をついて出ちゃう。だからさ、美月見てるとなんかこう、もやもやもやもやとさ! だってやっぱさ、出すもん出さないとすっきりしないじゃん!?」
「出すもん、……って、仮にも女がおまえ、」
 さすがに呆れて口を挟むと、「うるさいだまれ、バカ黒川!」と、すかさずカウンターを返される。
「……出してくれなきゃ、分かんないし」
 ちいさなため息と共に弱々しく床に落とされた言葉。
 なんだよおまえ、らしくねーじゃん。おまえのそんなトコ、見たくねーよ。
 心のなかで呟いて、圭介は美月が出て行った扉のほうを見やった。
 閉ざされた扉は恐ろしく頑強で、びくともしない。

 鍵は、見つかりそうもない。

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