第4章 夜の片隅で

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 するすると近寄ってきた渡辺は輪の中に納まるなり、大きく手を振り上げた。
「そこに颯爽と現れたのが進藤雅哉大先生!」
「なんなんだよ突然、おまえは一体、」
 部内で一番のお調子者と名高い渡辺は、圭介の抗議を無視して話を続ける。
「皆に出すお題の『王様の命令』は自分があらかじめチェックして、あまり過激なことはやらせないようにするから、せっかくの生徒たちの楽しみを奪わないでやってくれって、ゆかり女史をこんこんと説得してくれたんだってさ」
「へえー」
 すかさず宮地が食いつく。
 そういえばこいつ、進藤のファンクラブがどうのって言ってたな。
「まあ、最後には難攻不落の橘の鉄壁も、進藤の色気の前にあえなく陥落したってわけ」
 くい、と顎で示されたほうを振り返る。広間の後方に進藤は立っていた。そしてその横、やけに近い距離で並ぶのは橘だ。会話の内容までは聞こえないが、しきりに隣の進藤に話しかけている。ふだん口数の少ない彼女には珍しい。
「なにあれ。私らにはいつもツンケンしてるくせにさ。いい男の前では態度コロッと変えて、みっともな」 
 宮地の声はいつもよりワントーン低く、そしていつもに増して辛辣だった。
「そういうおまえだって、進藤の前では『せんせ〜』とかって、一八〇度態度変えるじゃねーか」
 思わず突っ込んだ圭介に、宮地は「は?」と片眉を上げた。
「何か悪い? 好きな相手の前で猫被るのは当然じゃん」 
「おまえ、言ってることめちゃくちゃだな。呆れてものが言えねーよ」
「言ってるじゃん」
「うるせー、だまれ」
「そっちこそだまれ」
 ふと気がつくと、いつの間にやら渡辺は美月の横へと移動していた。
「綾瀬さん、コンタクトにしたの? その髪型もすっげー似合ってる」
 完全に隙をつかれた。ただ単にいつものおちゃらけかと思っていたら、目当てはどうやら美月だったらしい。迂闊だった。
「明日の自由行動、誰かと約束してる?」
「え? あの、……うん」
「そりゃ、そうだよねえ。当然もう決めてるよね。でもさ、もしよかったら俺らのグループといっしょに回らない? ぜったい大人数のほうが楽しいっしょ」
 渡辺は舌をフル回転させ、息を継ぐ暇もない勢いでまくしたてる。やや身体を引き気味にした美月が助けを求めるようにして圭介のほうを見た。だが、助け舟を出そうと身を乗り出したところで「なあ、綾瀬」と、今度はべつの横槍が入る。
「これ終わったらさ、俺らの部屋に来ない? 皆でトランプしよーって話になってんだけど。あ、もちろん相良や宮地もいっしょに」
 美月の両脇を固めるようにしゃがみ込んだのは、美月たちと同じクラスの男子生徒だった。たしか名前は、小野瀬と池田。     
「えっと、女子が男子の部屋に行くのは禁止されてるから」
 律儀に答える美月に「そんなの黙ってりゃ分かんないって」と、池田がひらひらと手を振る。
「そうそう。そんなのバレなきゃいいんだからさ、こっそり俺らの部屋のほうにおいでよ。おやつもいっぱい持ってきたしさ」
 いつの間にやら置いてけぼり感満載の渡辺が負けじと身を乗り出す。
「はあ? 何だよ、おまえ。今、俺らが話してんだけど」
「そっちこそ後から来たくせして邪魔すんな」
「後からも何も、ほとんど変わらないだろ」
 突然目の前で始まった言い争いに、どうしたらいい? という困惑の視線を再度美月から向けられた圭介は、よしきた任せろ、と俄然張り切った。が、そこでまたも腰を折られることとなる。
「すごーい、モテモテじゃん、美月」
 言っている内容とは裏腹に少し低めのその声は、圭介の斜め後ろからのものだった。振り返った視線の先にいたのは、美優を始めとする女子三人グループだ。よくつるんでいる面々で、なんというか、とにかく揃いも揃って顔が派手派手しい。
「高校生活最後の大イベントだもんねー。眼鏡外して、髪型変えてー、張り切った甲斐があったね」
 風呂上りにも関わらず、きれいに巻かれた髪の毛の先を指先でくるくると弄りながら、美優がにっこりと笑う。
「なにあいつ」
 すぐ横で宮地がぼそりと呟く。元々、宮地は美優のことをあまりよくは思っていない。まずいな、と思ったのは彼女の性格をよく知る相良も同じだったようで、「ちょっと、宮っち」と小声で宮地を諌めた。
 美優は「でもさー」と口許に指を添えつつ、小首を傾げた。
「圭介君が自分のこと好きなの知っていながら、そういうのはどうなのかなぁって、ちょっと思ったりして」
「ほんとほんとー。黒川、かわいそー」
「でもさ、地味で冴えなくて他の男に見向きもされない彼女よかいいんじゃない? 美優、あんたもさ、おねーさんにもっとちゃんとメイクとか教えてあげなよ」
「あー、そうしなよー。そのほうが黒川もいいっしょ。ね、黒川?」
「いや、俺は、」
 突然水を向けられた圭介はなんと返していいか分からず、思わず口籠る。ちら、と横目で窺った美月の顔は色を失くし、紙のように白くなっていた。
「ちょっと」
 耐え兼ねて立ち上がったのは宮地だ。
「なによ?」
 美優は座ったままの状態で上目遣いに宮地を睨み付け、応戦の姿勢をとる。だが、それに待ったをかけたのは美月だった。
「紗枝、いいから」
 美月にジャージの袖を引かれた宮地は「けど」と反発するが、おねがいだから、という美月の懇願に不承不承といったかんじで、すとん、と腰を下ろした。
 周囲から向けられる視線にさすがにまずいと思ったのか、美優たちもそれ以上は何も言ってこなかった。宮地は改めて美月に向き直る。
「美月もさ、姉妹仲悪いのかなんなのか知んないけどさ、あんな言われっぱなしにしないで、ちゃんと言いたいこと言えばいいじゃん」
 未だ怒りが醒めやらないのか、宮地の口調はややきつめだ。ごめんね、と美月が謝る。
「べつに私は……!」 
 思わず、といったかんじで声を荒げた宮地だったが、ぐっと何かを飲み下すようにして言葉を切った。
「……べつに私はあんたに謝ってほしいわけじゃ、」
 やがて、私のほうこそごめん、と力なく言った宮地に、美月はただただ首を振った。
 一瞬、彼女が泣くのではないかと思った。
 だが、すぐに思い直す。
 彼女は泣かない。ここでは。
 泣くとすればここではないどこか。
 誰もいない場所で、一人きりで泣くだろう。
 
 あの日、保健室で泣いていたように。
 これまでも、
 そしておそらくこれからも。
 ずっと。 

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