第4章 夜の片隅で

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 他の生徒たちは土産物屋に行くためにすでに移動を始めていた。だが、たしかにその流れについていく気力はまだない。近くのベンチに移動し、大人しく美月を待つことにする。
 どうやら進藤も付き合ってくれるつもりらしい。ベンチの横に立ち、スーツのポケットから煙草を取り出しかけた進藤は、麻衣の視線に気がついたのか渋々ポケットへと押し戻した。
「先生、まだ業務時間中でしょー。それとさ、ずーっと思ってたんだけど、先生、ちょっと吸いすぎじゃない? 早死にするよ」
 進藤はかなりのヘビースモーカーであるようだ。原則、校内は禁煙となっているのだが、休み時間、校舎裏など人目につかない場所で煙草をふかす姿を幾度となく見かけたことがある。
「今吸ってんの、1ミリで軽いんだよ」
「なにそれ、そんなの知らないし。大体さ、あれ、どこがいいわけ? 服とか髪とかに匂いついたらとれなくて臭いしさ」
「分からなくてけっこう。とくに女にとってはいいことなしだから興味本位なんかで手え出すなよ」
「そんなの、男の人にしたっておんなじじゃん。百害あって一利なし、でしょ?」
「ああ、まったくもってその通り。いいことなし、だな」
「じゃ、やめればいいじゃん」
「ま、そのうちな」
 明らかなるおざなりな返事で会話を切り上げた男の顔を、ベンチの上で抱えた膝に頬をのせぼんやりと眺める。きれいな顔というのは、どの角度から見ても整っているものらしい。言うなれば隙がない。手足が長く、モデルばりにスタイルもいい。煙草のケムリは嫌いだが、いい男が煙草をふかす姿というのはそれだけで絵になるサマになる。そんな進藤を見て、皆がきゃいきゃい言うのも分からなくは、ない。
 ま、私は趣味じゃないけどねー、などと心のなかで誰へともなく言い訳をしてから顔を上げる。
「ね、せんせ」
 呼びかけると進藤は、なんだ、というふうに目線で問いかけてきた。
「生徒ってさ、先生にとって恋愛対象にはなり得る?」
 一瞬、進藤の動きが止まる。
「あ、ちなみに私にとって教師は対象外だから。できれば同年代の殿方と健全なお付き合いをしたいと思っておりますので」
 念のため、言い添える。妙な誤解をされてはたまらない。
 進藤は麻衣の隣へと腰を下ろした。が、彼の口から出てきた言葉は、残念ながら麻衣が期待した類のものではなかった。
「綾瀬たちはいつもああなのか?」
 綾瀬たち。きっと美月と美優のことだろう。 
「ああ、って?」
「仲がわる……いや、あまり仲、よさそうじゃないだろ」
「よさそうじゃないも何も、あれははっきり『仲が悪い』っていうんじゃない?」
「……まあ、そうだな」
「気になるんだ?」
「そりゃまあ、担任だしな」
「ふうん。担任だし、ね」
 何が言いたいんだ、というような視線を横顔に感じたが、無視する。
「私が美月に会ったのは高校に入ってからだけど、そのときにはもうすでにあんな感じだったよ。高校入学に合わせて引っ越してきたらしいから、中学時代の美月たちのことを知ってる人はたぶん一人もいないし、私も……知らない」
「……そうか」 
「うん」
 少なくとも、二人は入学した時からずっと「ああ」だった。
 二人が姉妹であるということを知った時には驚いたものだ。おそらく二卵性なのだろう。美月と美優は、容姿も、性格もあまり似ていない。むしろ対照的でさえあった。
 自分にも姉がいて、特別仲がいいというほどではないが、やはり「家族」という名の、目に見えないある種の絆のようなものはあるのだ。だが、あの二人にはそういった類の繋がりをまるで感じることができない。
 何があったのか。いつから「ああ」なのか。理由は、分からない。
 何も知らない。
 そう、何も知らないのだ。
 親友だと公言して憚らない彼女のことを自分は、何も。 
 以前はどこに住んでいたのだとか、中学のときにはどんな友人がいたのだとか、どんな子供時代を過ごしたのだとか、どんなタイプの人が好きだとか、将来どんな夢を描いているのだとか。
 今までの友人たちのそういった情報は、とくに改めて訊くという必要もなく、何気ない会話のなかからごく自然に拾えたのだ。だが、美月はそういった事柄についてすべてシャットダウンしているようだった。決して、自分を開示してはくれない。
 美月が聡と付き合い始めたときもそうだった。驚いた。そんな素振りは少しも見えなかったから。とくに隠していたわけではないのだろうが、美月と聡の付き合いを知る人は少なかったように思う。
 美月と聡の関係は、麻衣の与り知らぬところで始まり、そしてまた同じようにいつの間にか終わってしまっていた。そのすぐあとに、聡と美優の噂が立った。美月はとくに何も言わなかった。
 彼女の心はいつも、閉じている。麻衣はただ、立ち尽くすことしかできない。
 固く閉ざされた扉の前で歯痒さと淋しさにぎしぎしと胸が軋む音を聞きながら。

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