第3章 白と白と白と、そして赤

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 中間考査が終わってから、学年全体がどこか浮き足立っていた。高校生活の締めくくりとなる修学旅行が間近に迫っていたからだ。
 生徒数が多いため、旅行先は信州と九州、それから四国へと三分化される。美月にはとくにどこへ行きたいという拘りはなかったのだが、麻衣と紗枝の「温泉地に行きたい!」というたっての希望で行き先はあっさり九州へと決まった。
「温泉って言ってもさー、時期的にどうよ。冬ならともかくさー」
 不満を漏らしたのは圭介であった。
「黒川君は好きなとこ選べばいいじゃない。無理に私たちに合わせる必要はないし」
 相変わらず美月の弁当のおかずを狙おうとする圭介の手を躱しつつ、言う。
「ひっでーな。高校生活最大のイベントを好きなやつと過ごしたいっていう、俺のささやかーな楽しみをそんな冷たい言葉で打ち砕くなよー。ていうかさ、綾瀬って最近キャラ変わったことない? そんなやつだったっけ?」
「ご心配なく。私がこういう態度をとるのは黒川くんに対してだけだから」
 弁当を食べ終わった美月はごちそうさま、と手を合わせた。水筒からついだお茶を飲む。ステンレス製の水筒は日差しを受け、少し熱くなっていた。日差しは日増しに強くなっている。季節が変わろうとしているのだ。そろそろ外で弁当を広げるのは厳しくなりつつあるようだ。
 美月が弁当箱を仕舞い終わったところで、顎に手を当て、しばらく何事かを考え込んでいた圭介が突然、ぽん、と拳を手のひらに打ち付けた。
「わかった。綾瀬が俺にだけそういう態度をとる理由。要するにそれは俺が綾瀬にとって『特別』ってことだな?」」
 深刻な顔をして何を考え込んでいるかと思えば。一体、どこをどう曲解すればそのような結論に至るのか。
「あのね、何度も言ってるけど、私、あなたのことは、」
「なあ、自由行動いっしょに廻ろうぜ」
 いつものように聞く耳をもたない圭介は嬉しそうにそう提案した。彼はとてもマイペースで、そしてポジティブだ。羨ましいほどに。
「麻衣たちと廻る約束してるから」
「私たちのことは気にしなくていいよ」
 すかさず、麻衣が割って入ってくる。裏切り者。睨みをきかせた美月の視線に気がつかないふりをして、麻衣はウサギの形にカットされたりんごに齧りついた。
「許可も下りたことだし、いっしょに廻ろうぜ」
「いや、だからね、」
「温泉かあ。……ん? いや、そうだな。温泉、いいんじゃないの?」
 何かに思い至ったらしく、圭介がにやつきながらうんうん、と頷く。何となくいやな予感がする。
「あの、ちょっと、私の話、ちゃんと聞いてくれる?」
「湯上り、浴衣、卓球。……うん、いいねいいね。これぞ青春!」
 予感はどうやら的中したようだ。頭が痛い。一人盛り上がる圭介を無視して、麻衣が「そういえばさ」と話を切り替える。
「うちのクラスは美月と弘中さんが実行委員ってことになるんだよね?」
「うん、そう。今日の放課後、さっそく委員会があるんだよね」
 実行委員、とは「修学旅行実行委員」のことだ。各クラスから選出される実行委員に加え、一学期のクラス委員も自動的そこに組み込まれる。三年の一学期の各委員決めの際、とくにクラス委員が敬遠されるのはそのせいでもある。
 実行委員会の主な活動内容としては、しおりの作成、レクリエーション考案、自由行動時のルールの取り決め、その他諸々である。これらをあと十日足らずで行わなければならない。少し──いや、かなり気が重い。
「実行委員ってさ、けっこう大変だよな。どのクラスも押し付け合いで、ほぼジャンケンで決めたってさ」
 圭介は焼きそばパンを頬張りながら言った。
「黒川君のとこも揉めた?」
 圭介は口の中のものをパック入りのコーヒー牛乳で流し込んでから、
「いや、俺のクラスはわりとすんなりだった」
 そのとき圭介が得意気だった理由はほどなく判明することとなる。
 
「どうしたの?」
 放課後、委員会が行われる図書室の前にはなぜか圭介の姿があった。
「今日、部活あるんでしょ? まだ行かなくていいの?」
「ん、あとで行く。委員会終わってから」
「委員会って?」
 ここ、と圭介は図書室の扉を顎で指し示した。
「俺も実行委員なんだ」
「え、そうなの? だってさっきそんなことひと言も」
 にやりと笑みを浮かべた圭介の顔から、美月は自分が圭介の期待通りの反応を示したことを知る。要するに驚かせたかったのだろう。
「部活忙しいのに、わざわざこんな面倒なこと率先してやらなくても」
 彼が押し付けられたわけではなく、わざわざ自ら立候補して実行委員になったであろうことは聞くまでもなかった。
「だって綾瀬とはクラス違うし、そんなに頻繁に会えるわけじゃないだろ。だからなるべく接点持ちたいんだよ」 
 あまりにストレートな言葉に戸惑い、そして気恥ずかしさを覚え、視線をそらす。
 時々、彼の放つ直球はダイレクトに響いた。打ち返されることが怖くはないのだろうか。怖れは、ないのだろうか。
「委員会、始まるよ。はやく入ろ」
 図書室はそれほど広くない。もうすでにほとんどの席が埋まっていた。空いた席を探し巡らせた視線は、後ろのほうの、窓にいちばん近い席に吸い寄せられた。長机に頬杖をつき、外を見ている男子生徒。
「綾瀬、どうした?」
 ちょうど入り口を塞ぐ形になっていた美月の背後から、圭介が声をかける。その瞬間、窓際に座る彼の肩が大きく揺れたのが分かった。彼が振り返る。美月は慌てて顔を伏せた。
 私は怖い。怖くて仕方がない。 
 まっすぐであればあるほど、心を抉る傷は深くなることを知っているから。

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